初めて手にしたラップトップは、IBM ThinkPad R31だった。

分厚く、重く、黒く、道具然としていた。いまのノートPCのような薄さも軽さもなかった。もちろん、巨大なタッチパッドを二本指で撫でるような体験もなかった。

キーボードの真ん中に、赤いポチがあった。

それを指で倒すと、ポインタが動いた。

自分にとって、ラップトップとはまずそういう道具だった。マウスに手を伸ばすものでも、タッチパッドを撫でるものでもない。ホームポジションの近くに手を置いたまま、キーボードの中から画面に触れるものだった。

それから、ずいぶん時間が経った。

思いがけず、またThinkPadを手にした。

中古のThinkPad X1 Carbon Gen 7。Linux Mintを入れて、気軽なサブ機として使うつもりだった。軽く文章を書く。調べものをする。出先で作業する。そのくらいの役割で十分だと思っていた。

ところが、これが妙によかった。

薄い。軽い。キーボードがいい。Linuxも素直に動く。大企業のリース落ちラップトップとしては、まだまだ現役だった。サブ機のつもりだったのに、いつの間にかメイン機になっていた。

気に入っていた。

でも、何かが違った。

便利だけれど、違う

違和感の正体は、タッチパッドだった。

もちろん便利だ。現代のノートPCとして、タッチパッドはあって当然だ。スクロールできるし、細かい操作もできる。普通に使うなら何も問題はない。

ただ、自分の身体には少し合わなかった。

文章を書いている途中で、無意識に触れてしまう。カーソルがずれる。別の場所に文字が入る。小さな誤操作が積み重なる。

それ以上に、たぶん気持ちの問題もあった。

ThinkPadなのに、真ん中の赤いポチを主役にしていない。

R31の頃、自分は赤ポチでしか操作していなかった。あの不器用で、少し硬くて、でも手をキーボードから離さない感覚が、ThinkPadという道具の記憶として残っていた。

だから、回帰が必要だった。

タッチパッドを使いやすくするのではなく、タッチパッドを黙らせる。

赤ポチに戻る。

虎穴に入らずんば虎子を得ず、少し大げさな例え話を思い出しながら、 タッチパッドとの決別を決めたのだった。

現れた虎

タッチパッドをオフにするbashスクリプトを用意し、実行した。 当たり前だがタッチパッドは沈黙した。 赤ポチに圧力をかけ、ポインタを操作する感覚が悠久の時を経て舞い戻ってきた。

まさに虎子を得たと思った矢先、 思いがけない違和感が、親虎のように牙を向いた。

長いソースコードを閲覧するときは、中央のクリックボタンと トラックポイントを組み合わせてスクロールする。 その際、不意にどこかで選択していたテキストがペーストされてしまった。

原因は、Linux / X11 の middle click paste。

調べてみると、X11古来の動作とのことで、 正しい知識を持つユーザーには当たり前のことなのかもしれない。 だが、X11を使い始めたばかりの自分は、 原体験にはなかったノイズが紛れ込んできた気分になったのが事実だ。

かくして、bashスクリプトは追加修正された。

環境を選ぶということ

昔のR31はWindows XPだった。

良くも悪くも、用意された環境をそのまま使っていた。OSも入力の作法も、機体に付属しているものだった。

いまは違う。

中古で買った機体に、自分でLinux Mintを入れている。デスクトップ環境も、設定も、スクリプトも、自分で選んでいる。

そして、その環境にはX11がいた。

原点回帰には、封印が必要になった。しかもそれは、単にGTK/Xfceの設定でPrimaryPasteを切るだけでは足りなかった。最終的には、TrackPointの中央ボタンをスクロール用モディファイアとして残しながら、Button2としてアプリケーションへ配送しないようにする必要があった。

X1 Carbon Gen 7は、現代の薄いラップトップである。でも、自分の手の中では、少しだけR31の続きになった。

もちろん、完全に同じではない。

時代も、OSも、機体も、自分自身も違う。 だからこれは、懐古とも割り切れずにいる。 原体験をいまの環境で呼び戻す選択なのかもしれない。

真ん中の赤いポチ

今でも、誰にでも勧めたいわけではない。

タッチパッドが好きな人は、そのまま使えばいい。X11の中クリック貼り付けが好きな人は、そのまま使えばいい。

でも、自分にはこれが合っていた。

真ん中の赤いポチに身体を戻すには、タッチパッドを無効化するだけでは足りなかった。X11の作法をひとつ封印し、中央ボタンを「貼り付け」ではなく「スクロール」のためのボタンとして取り戻す必要があった。

虎穴に入りて得た虎子は、最新の便利機能ではない。

もう一度、手をキーボードの上に戻す感覚だった。


この記事では、ThinkPadの赤いポチに身体を戻していく個人的な記録を書いた。

同じ出来事を、制約設計・身体化・インターフェース論として眺め直した記事はこちら。

https://emptytheory.rbcn.cc/ja/constraints-are-interfaces-trackpoint-ux/